かなり話題になっていますが、
北野も、「アンソニー・ロビンズ」のセミナーに
参加しています。
今日が最終日。
会場で見かけたら、声をかけてください。
知り合いがいっぱい来ていて楽しいですね・・・。
さて、まずはお知らせです。
北野と共に、
『一般社団法人日本マーケティングコーチ協会』を
主宰するビジネスパートナー、
『井口 晃さん』が、
資産5000億、ヴァージングループの総師である
リチャード・ブランソンから直接学んだ
「成功の秘訣」を公開しています。
⇒ http://123direct.info/tracking/af/387059/a5xr1Pg3/
これはカリブ海のネッカー島で行われた、
リチャード・ブランソンのプライベートレッスンで
井口さんが得た、特別な情報です。
もうすぐ締め切られるので、是非、
チェックしておいてくださいね。お薦めです。
⇒ http://123direct.info/tracking/af/387059/a5xr1Pg3/
さて、、、、、、
数日前から、北野の起業“初期”ストーリーを
書いています。
今日が3話目になりますが、前2話は、こちらを
ご覧ください。
第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/
第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/
是非、感想やコメントを残してくださいね。
北野が、最初の起業を試みたのは、
大学を卒業し、就職して2年半の頃です。
起業した・・・・と言えば聞こえはいいですが、
「単に、会社を辞めてしまった。」
というのが本当のところです。
元々、独立志向、起業指向はあったのですが、
「これだ!」というやりたいことがあったわけでも、
信念や使命感があったわけではなく、
「起業=自由な生活」
というイメージがあって、
起業して稼げれば、贅沢ができるかな、
とか、女の子にモテるかな、とか、
そんなレベルだったと思います。
(※でも、起業初期の頃は、そんな理由でいいと
思います。)
大学を卒業して入った会社は
大手下着メーカーでした。
ずばり言えば、「株式会社ワコール」です。
とはいえ、実は、下着部門ではなく、
最初からアウターウェア(洋服)部門を狙っていました。
学生時代からファッションが好きで
(学生時代は、いわゆる、「DCブランド」ブームで
「丸井」のカードの相当な御世話になっていました)、
漠然と、「アパレルで一山、当てたい!!!」
配属されました。
それで、、、、そうは言っても現実は厳しく。。。。
北野は営業部門だったのですが、
営業のノルマもかなり厳しくて、毎月月末になると
お客さん(ショップのオーナーです)に電話して、
売れもしない商品を売りつけたり、
トラックバンに商品を積んで売りに行ったり・・・
ノルマを達成するまで会社に泊まり込み、
そんな生活でした。
「仕事がきつい。会社を辞めたい。
このままでは起業できない。」
そんな風に悶悶としていた時、
お客さんの一人であるショップのオーナーから
「北野さん、面白い雑貨があるんだけど、
これ売ってみない?儲かるよ。」
・・・・と声をかけられました。
同じ頃、知り合いからネットワークビジネスも誘われ、
「雑貨を売ったり、ネットワークビジネスなどを
やっていけば、何とか収入は確保できるだろう。
雑貨が当たれば、成功者になれるかも・・・。」
そんな驚くほど安易な気持ちで、
2ヶ月後には、会社に辞表を提出していました。
今思えば、単に、目の前の営業のキツさから
逃げたかっただけかもしれません。
結果、雑貨は全く売れずに在庫を抱え、
ネットワークビジネスも登録しただけで
全く活動は行わず、無収入の状態が続いていました。
退職金は雑貨の仕入れに使ってしまい、
失業保険も切れ、遂には、アルバイトを始めました。
(※簡単な事務作業のバイトでした)
大した活動もせず、
成功哲学の本にはまりっていた時期もあり、
この頃は、マーフィー物をよく読んでいました。
「潜在意識に働きかけて、寝る前に唱えていれば、
いつか、俺も成功できる・・・。」
そんな風に、本気で思っていました。
でも、行動を起こすわけではなく、
ついには、何枚もの
クレジットカードでキャッシングを
するような状態になり、借金が膨らんでいく、
そんな状態に陥っていました。
「一旦、実家に戻るしかない・・・・・。」
会社を辞めて、1年と2ヶ月目のことでした。
北野哲正