北野です、
2005年10月。
これまで、人生の転機、というのは
何度かあったわけですが、
“最大の転機”と言ってもいいのが、
この時。
そうです、
北野が、「コーチング」を
学び始めたのがこの時、でした。
その頃は、会社の経営が相当、
ヤバい頃で…。
当時は、コピーライティングを
中心とした広告制作会社をやっていました。
スタッフは5名。
で、NO.2のコピーライターが
デザイナーを引き連れて独立。
半ば、ケンカ分かれ的な離反で…。
で、仕事も不調で受注が低迷。
(前年1000万円の仕事をもらって
いたクライアントからの仕事が
ほぼ0円に……)
さらに運が悪いことに足を骨折。
でも、当時は仕事を休めず、松葉杖で
取材とか打ち合わせに行っていたなぁ…。
一度、香川県からレンタカーで
オートマの軽自動車を借りて、広島まで
行ったことも…。
当時は年収で1000万円ぐらいは
あったんですが、その頃は、本当に
休みもほとんど取らずに働き詰め。
土日も基本、仕事で、
子供の運動会にも小・中・高校を通して、
1回しか行った記憶がありません。
(これはかなり後悔しています……)
で、結局、会社は資金が回らなくなり、
5名いたスタッフには再就職を斡旋して、
会社は解散。
(デザイナーが1名、完全歩合制にして
残ってくれました)
借金は500万円ほど。。。。。
「さて、どうする……?
このままじゃ駄目だ……コピーライター
としても限界を感じている……
結局、“下請け”で完全な労働集約型……
何か新しいことを始めないと……」
そんな時に出会ったのが
「コーチング」でした。
ホント、コーチングとの出会いは
“衝撃的”でした。
もともと、部下の話はほとんど聞かず、
超ワンマンな上司&経営者だったんですが、
「聞く」というのは高度なスキル
これがまず衝撃的でした。
なんと自分は、これまで
人の話を聞けていなかったのか……。
スタッフがどんどん辞めていく、
入れ替わりが激しいのは、全て、
自分に「聞くスキル」がなかったからか…
かなり打ちのめされました。
そして、“コーチングの力”には、
本当に衝撃、そして感動を覚えました。
コーチングとは、100以上のスキルからなる
体型的なコミュニケーションスキルです。
国際コーチ連盟マスターコーチの
安海(あずみ)さん曰く、
「コーチングって、高度で上質な
ハイレベルの会話なんだだよね。」
まさにその通りで、コーチと会話を
することで、
どんどんやる気になり、やりたいことも
明確になり、行動へのエネルギーが
高まる。
このスキルは凄いぞ!
人をやる気にさせ、行動させ、
本当の自分&新しい自分に気づかせ、
その人の人生をより良い方向に変えていく…
これは、仕事として、プロとして
やってみたいーーーーーーっ!!!!!!
すぐに決断してましたね。
そして、本気でプロコーチを目指し、
あれから14年……。
2005年10月、コーチングを始めて
初月の売上は4000円。
初年度は年商の300万円でした。
そして、14年たった今、私の会社、
コンラボは、年商6億円の会社になっています。
2005年10月。
本当に、あの時が、
人生の大きな転機でした。
そんな素晴らしいコーチングを
沢山の方に知ってほしい。
コーチングを受けてほしい、そして、
「プロコーチ」という素晴らしい仕事を
知ってほしい。
それが、私の行動の原動力の
ひとつになっています。
それで、、、、
今日のブログ・・・
北野の“コーチングストーリー”は
いかがでしたか?
感想とか、送ってもらえると嬉しいです。
それで、次回は、
「北野がプロコーチとしてスタートした
初期段階のストーリー」
これを書いて行きたいと思います。
コーチングフィー1回2000円から
スタートして、1回10000円に
なるまでの初動期の話です。
今、コーチングを始めたばかりの人には
凄く役立つ内容になるんじゃ
ないかな?
では、また。
北野哲正
(東京・麻布十番の自宅マンションにて)