北野です、
「中森明菜マーケティング論」、、、、
かなり、かなーり反響を頂いています。
ちなみに、この3日間なんですが、
19日(火)ヴィーナス塾
20日(水)マスターマインド
21日(木)交流会ビジネス3.0
…この3つの講座で、北野は講師として
登壇していたのですが、3分の1は
「中森明菜」の話をしていました
(苦笑)
あはは、、、、、
いやー、でも、これが結構、
マーケティングに役立つ話なんですよ。
マジで。
で、
「なんで、北野さん、今さら
中森明菜やねん!」という方は、
まずは、こちらの動画を観て
くださいね。
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「白内障手術」と「中森明菜」
|中森明菜マーケティング論vol1
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それで、今日は、いよいよ………
中森明菜の伝説はここから始まった…
中森明菜が「中森明菜」になった瞬間…
そうです、“伝説の歌姫”中森明菜の
2枚目のシングル…
「少女A」について分析していきます。
特に、この「タイトル」が凄いんです。
とにかく、この動画を観てください。
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「少女A」のコピーが凄い|
中森明菜マーケティング論vol2
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中森明菜のデビューシングル
「スローモーション」は、
(来生えつこ・来生たかおの姉弟
コンビが作詞・作曲を担当)
大ヒットには至らず……
こちらはスローバラード&
清純派路線でしたが、
第2弾シングルとして出した
「少女A」は一転…
ロック調の、いわゆる
「ツッパリ路線」を打ち出し、
明菜の全国キャラバンの
キャンペーンも功を奏し、大ヒット!
あの伝説の歌番組「ザ・ベストテン」
への初出演も果たします。
なんと言っても、この「少女A」で、
中森明菜は、他のアイドル
(よく対比されたのが松田聖子さん
ですよね)とは一線を画した、
「大人びた」「憂いのある」
「ツッパリ」「不良」のイメージを
一気に確立し、まさに“伝説の歌姫”への
道を歩み出します。
中森明菜が「中森明菜」になったのが、
この「少女A」ではないか?
と思うわけです。
恐らく、この「少女A 」がなかったら、、、、
彼女はまた別の人生を歩んだのでは……と
思うほどのインパクトがあったわけです。
で、、、、この「少女A」の作詞を
担当した「売野雅勇さん」
(以下、敬称略)なんですが、、、、
彼は、当時(80年代初期~中期)の
ヒットメーカーで、
吉川晃司の「サヨナラは8月のララバイ」
「ラビアン・ローズ」、
チェッカーズの「涙のリクエスト」
「ジュリアに傷心」「星屑のステージ」、
ラッツ&スターの「め組のひと」、
郷ひろみの「2億絵4千万の瞳-
エキゾチックジャパン」など
大ヒット作を連発、
また、その後の中森明菜の
「ツッパリ路線」は彼が作詞を
担当していました。
「1/2の神話」
「禁区」
「十戎(1984)」……
ちなみに、「少女A」は間違いなく、
売野雅勇にとっても出世作、
この「少女A」以降、ヒットメーカー
としての地位を確立していきます。
で、、、、、彼、売野雅勇は、実は、、、、
元々は、、、、、
「コピーライター」だったんです!
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なので、彼の詞は、
「極めてコピーライター的」なんです。
これは何も、私個人の見解ではなく、
「この詞やタイトルは、コピーライター
じゃないと思いつかないよね」
…と当時、評論されていました。
それほど、特徴的で、画期的だったんです、
売野雅勇の作詞は。
で、その最たるモノが、北野的には、
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この「少女A 」ではないか?と思うわけです。
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それで、、、、、
この「少女A」がいかに凄いのか?
どのあたりが「コピーライター的」
なのか?
それを動画で熱く、熱く、熱く、
語っております。
https://youtu.be/-flQqzOonuQ
なんと、撮り終わった後も、
納得がいかず、追加撮影をして
最後、付け加えています。
最後まで観てくださいね、
めちゃ気合、入ってます!
https://youtu.be/-flQqzOonuQ
という訳で、明日も、
「中森明菜マーケティング論」を
お届けしますね。
では、また!
北野哲正
(東京・麻布十番の自宅マンションにて)