【CL】【新連載】人生最大の転機。(面白いよ~)

0H2A1125北野です、

かなり古い話になります、
もう12年前の話です。

2005年10月のことです。
 

今から考えると、これが、
北野の「人生で最大の転機」だった
かもしれません。
 

「コーチング」との出会いです。
 

その頃、私は、コピーライターとして
広告制作会社を経営していました。

正確に言うと、その経営がうまく行かず、
会社を解散させていた頃です。
 

ちょっと前までは、羽振りもよく、
多い時は、コピーライター3名、
デザイナー3名というの体制で
地方としては(香川県です)
そこそこの規模でやっていました。

年収で言えば、2000万円ぐらいは
あったかな。
 

ただ、めちゃくちゃ忙しくて、
働き詰めの毎日。

ちなみに、その前後5年(10年間)は、
一切も旅行などもいかず、土日も
基本仕事の日々。

子供の運動会も、小-高校生を通じて、
1回しか行けていません。
(これはかなり後悔…)
 

ただ、基本、仕事は好きだったし、

「フリーランスだし、これは仕方ないよね」

…と思って、ほとんど休みなく働いて
いました。

それはそれで良かったかな。
子供のこと以外は後悔はしていません。
 

働けば働いた分だけ収入になるし、
「お金」はかなりのモチベーションの
原動力になっていた。

マンションも買えたし、外車
(アルファロメオ)も購入することが
出来たしね。
 

ただ、、、、2005年10月当時、
ビジネス的には“最悪の状況”に
なっていた。

前年1000万円近く仕事をもらっていた
メインクライアントの業績が悪化、
そこから売上がほぼ0円に。

で、さらに、右腕だった
コピーライターが、社内のデザイナーと
組んで独立。

うちの仕事を持って出ることになり、
かなりの仕事(3分1のぐらいかな)が
彼らに流れること…。
 

「北野さん、ごめん。
彼らの方が安いし、仕事も早いので…
我々も予算がキツイんだよね…」
 

仕事をもらっていた広告代理店の
営業マンからそう言われると、

「いいですよ。それはしょうがない
ですから…。うちも結構、他の仕事が
忙しいので…」

…と見栄を張るしかなかったです。
 

で、、、、

さらにさらに悪い事が重なり、
その頃、左足を骨折。
(酔っ払って田んぼに落ちて
骨折っす苦笑)
 

コピーライターの仕事って、
結構、取材や打ち合わせが多く、
足の骨折って、もろに仕事に影響
するんですよね。

ここで、受ける仕事がさらに激減する。
 

そう言えば、一度、骨折したまま、
オートマの軽自動車を借りて、
ギブスの左足をダッシュボードの
上に乗せて、松葉杖を持って、
広島まで取材に行ったこともあるなぁ…。
 

そんな最悪の状況の中で、会社は
慢性赤字の状態に陥り、
「これ以上やっても駄目か…」
と力尽き、さらに悪化して
倒産する手前で会社を解散。
 

スタッフの再雇用に奔走して、
全員の就職先は確保。

で、デザイナーが一人だけ残り、
彼との2人体制になりました。

ただ、給与は払えないので、
歩合制の出来高払いに
切り替えてもらいました。

ちなみに、その彼
(高橋くんっていいます)とは、
未だに細々ですが、仕事のやりとりを
やっています。余談ですが。
 

というわけで、、、、、

2005年10月頃っていうのは、
ほぼ起業時の振り出し状態に戻り、
借金を抱え(500万円ぐらい)、
「一人起業」の状態に戻った時期です。
 

「さて、、、この先、どうするか……
コピーライターをこのまま続けていても
限界だし、カラダもキツイ。
何か他にないのか…」
 

そこで、出会ったのが、、、、、
 

「コーチング」・・・・だったんです。
 

2005年10月、北野の
コーチ・トゥエンティワン
(現コーチ・エィ)の
「コーチングトレーニング
プログラム(CTP)」の受講が
始まりました。
 

これが文字通り、北野の
「人生の最大の転機」になりました。
 

to be continued…(明日へ続く)
 

北野哲正
(東京・麻布十番の自宅マンションにて)