【重要】“基準”を上げろ!

北野です、

このところ、ずーっと、
北野の起業“初期”ストーリーを書いているが、
今日は、ひと休止、ということで
ちょっと違う話題について書きたいと
思う。

 

この土日の26・27日・28日と、
「マーケティングコーチ認定コース第2期生」
(第0期・第1期に続く3期目です)
の講座がスタートした。

それで、、、、、

なんと、、、、、

もう既に、、、、、

 

「有料クライアントが獲得できました!!!」

 

……という報告が続々と上がってきている。

 

いやー、凄いね!

 

コーチングって、世間的には、

「稼げない」とか
「食えないコーチが多い」とか
「クライアントが獲れない」
と悩んでいるコーチが多い、と言われて
いるけど、

『一般社団法人日本マーケティングコーチ協会』
に関しては全く違う。

恐らく、「稼げるコーチの輩出」ということ
で言えば、間違いなく、“日本一”の確率を
誇っていると思う。

それで、第0期生や第1期生も凄い成果を
上げているけれど、第2期生はさらに
凄いことになりそう……。

 

で、、、、、、それはなぜか?

 

私と井口さんがレベルアップしたから?

 

もちろん、それもある。

でも、そうではなく、今回の第2期生には、
“ある仕掛け”を行ったんだ。

 

それは何か??????

 

一言で言えば、

「基準を上げた。」ということなんだ。

 

26日のセミナーの初日の中で、僕らは
こんな話をした。

・「今日1日のセミナーが終われば、
何とかコーチングはできるようになる。」

・「だからもう、あなたはクライアントに
コーチングができる。」

・「練習よりも実践、直ぐにクライアントを獲れ!
しかも有料で。でないと、コーチングも
上手くならない。」

・「成功するコーチは、直ぐに行動に移す。」

・「成功するコーチは、もう今日、この場で
クライアント獲得のためにアポをとる。」

・「明日、ではなく、今日何をするか?
それが成功のための第一歩だ。」

・「失敗はない。全ては経験になる。」

 

多くのコーチングスクールは、
半年とかの講座が終わってから、
「クライアントを獲ってください。」
みたいな指示をしている。

でも、それだと成功のスピードは
間違いなく遅くなる。

有料クライアントに実際の
コーチングをしないとスキルも身につかない。

 

だから僕と井口さんは、
“当たり前”の基準を上げたんだ。

==================
クライアントを直ぐに獲得するのが当たり前。
==================

これが第2期生の中では、「基準」になっている。

人の可能性を舐めてはいけない。

「基準」を上げれば、
人は、どんどん能力を高めていくんだ・・・・。

 

動画でも話してみた。是非、観て欲しい。

 

 

さて、、、、、、

今日のブログは、いつもの「ですます調」
とは変えて、「だである調」で書いてみた。

どうかな???
ちょっと違ったニュアンスで伝わったかな?

是非、ブログに感想や質問等を
コメントして欲しい。

では、次回は、また、起業“初期”ストーリーを
お届けしたい。

いよいよ、「コーチング」での
クライアント獲得が軌道に乗ってくる話だ。

ようやく明るい話が書けそうだ・・・・・(笑)

 

では、また!!!

北野哲正

【起業“初期”】不発、に終わりました。

北野です、

GWが始まりましたが、いかがお過ごしですか?

北野は、週末の26・27日は成田にいました。

『一般社団法人日本マーケティングコーチ協会』の
第2期生のスターティング合宿があり、
100名を超える参加者と共に、盛り上がっていました。

そして、昨日は、同じくマーケティングコーチの
第2期生「コアメンバー」(特別メンバー)の
スペシャルトレーニングを行っていました。

 

主宰の井口晃さんと2人で、
「ゴールデンウィークなんて、俺たちには
関係ないよね~、でも、いいもんね~」と
乾いた笑いを浮かべていました(笑)

ちなみに、GWの最終2日(5月5日・6日)は、
リアルネットが主宰する
「ビジネスモデル構築合宿」があります。

リアルネットの取締役の小島幹登さんは、
「人が遊んでる時に働くから差がつくんだねよ~
GWも関係ないもんね~、でも、いいもんね~」と
こちらも乾いた笑いを浮かべていました(笑)

 

 

さて、、、、、、、

 

私がコーチングを始めた時、
周りは既に「コーチ」と名乗る人が
あふれていました。

異業種交流会に顔を出しても、

「コーチングやっています。
よかったら無料セッションやります。」

と声をかけられることがいかに多いことか・・・。

 

「“単なるコーチ”では駄目。
差別化のために『専門性』を持つ必要がある。」

私はすぐに、直感的に、そう思いました。

これは、常に、

「いかに他の商品と差別化して、売り込むか?」

ということばかり考えている
“コピーライターの本能”だったと思います。

自分のウリは何か?

強み生かせるのはどこか?

専門性は何か?

 

2005年10月にコーチングをスタートして、
1ヶ月後には、『専門性』を考え始めました。

まず思いついたのは、

「相手のビジョンを作る“ビジョンコーチ”」

でした。

これは正直、完全に“不発”に終わりました。

一人もクライアントが獲れませんでした・・・。

仕事関係、広告業界の知り合いに、
片っ端から声を掛けましたが、

「北野さんが、何か怪しいことを始めた。」
「宗教くさいことをやりだした。」
「業界を捨てて、転職して、変な物を売り込んでいる。」

香川県の広告業界なんて狭いもので、
そんな噂が広がって、これはあえなく失敗。

2ヶ月で方向転換しました。

次に思いついたのは

「会社や個人のスローガン(キャッチフレーズ)を
引き出す“スローガンコーチ”」

これは、コピーライターとしての
自分の強みを生かせるし、これは絶対行ける!!!

最初に思いついたときは、興奮しました・・・。

そして、なんと、企業契約が一社獲れました。
地元の小さな住宅メーカーでしたが、
丁度、企業としてのスローガンを考えたかった、
というニーズがあって、契約が成立。

初めての法人契約が獲れました。

が・・・・・・仕事になったのは、この1社のみ。

考えみれば、「スローガンを作りたい!」
という人が、周りにそう多いわけではなく、
これもあえなく方向転換。

スローガンコーチの寿命は、4ヶ月ほどでした・・・。

※ただ、この時、契約してくれた会社は、
業績をどんどん伸ばし、今では全国展開へ。
その後も、コーチング研修やマーケティング研修、
FC展開、コンサルティングなどで
お付き合いがありました・・・。
⇒ http://www.soramado.com/

 

「ビジョンコーチ」「スローガンコーチ」・・・

使えない名刺がどんどん増えていきました。

「さて、次は“何コーチ”を名乗るか・・・・?」

そんなことを考えていたとき、

高校時代の友人に会う機会があり、
彼にコーチングの話しをしたところ、

「北野はコピーライターで、
マーケティングが得意だよね。
じゃぁ、俺に、
“集客”のコーチングをやってよ。」

そんな話しになったんです。

実は、それまでコーチングしてきたクライアントも
マーケティング絡みのテーマが
多かったことに、あらためて気がつきました。

 

「そうか、俺の強みは、やはり、マーケティングか・・・。
よし!“マーケティングのコーチング”でいくか!!!」

 

こうして

————————————————–
『マーケティングコーチ 北野哲正』
————————————————–

が誕生しました。

コーチングを開始して、8ヶ月目のことでした。

 

今思えば、

「思いついたら、まず、やってみる。」

それがよかったのかな、と思っています。

「それで駄目だったら、変えればいい。」

そのぐらいのスタンスでやったのが、
上手くいった要因かな、と思っています。

失敗に終わった
『ビジョンコーチ』『スローガンコーチ』
の経験がなかったら、『マーケティングコーチ』
に行き着かなかったかもしれません。

おそらく、最初から
『マーケティングコーチ』と名乗っていたら、

「他にいい専門分野があったのではないか?」
「もっと自分にあったコーチングがあるのでは?」

と、腑に落ちずに、悶悶として、
迷いながらコーチングをやっていたかもしれません。

 

今日は、ビデオで、

「専門性を見つける上での大切なマインドセット」

について話しています。

————————————————–
・コーチ、コンサルに必要不可欠な
「専門性」を見つけるためのマインドセットとは?
(2011年2月3日公開:再生回数1159回)

※是非、コメントや感想、質問などを
お寄せくださいね。
————————————————–

 

 

「俺はマーケティングコーチで行く!!!」

そう決めてから、迷いがなくなりました。

この時期に、「パレードM&C」という会社を
設立し、本格的に、コーチング&コンサルタントに
取り組んでいくことになります。

そして、コーチングをスタートして
1年後の2006年10月。

初セミナーを開催することになりました。

東京で開催しました。

いきなり香川県から東京に出てきて、です。

 

結果的には、このセミナーは、

————————————————–
40,000円の赤字
————————————————–

でした。

ですが、、、、、、、、

このセミナーが北野の起業における
最大のターニングポイントでした。

続きは、次回お話ししますね。

北野哲正

 

追伸:

このところお届けしている北野の
起業“初期”ストーリーですが、
これまでの話はこちらで読む&見ることが
できます。
↓↓↓↓↓↓

第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

第6回:母親の死に目に会えず・・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/716/

第7回:不覚にも泣いてしまいました・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/719/

第8回:“コピーライター北野”、誕生。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/722/

第9回:落とし穴。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/725/

第10回:2度目の挫折、“振り出し”に戻る。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/728/

第11回:コンサルタントへの嫉妬
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/734/

第12回:不純な動機
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/737/

第13回:好循環モデル
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/740/

【起業“初期”】好循環モデル。

北野です、

今日からは、「塚本桂さん」との対談動画を
見てもらった方にも情報をお届けしていきますね。

 

さて、、、、、、、

このところお届けしている
北野の起業“初期”ストーリーですが、後半に入り、
いよいよ“第3の起業”の話に入っていきます。

これまでの話はこちらで読む&見ることが
できます。
↓↓↓↓↓↓

第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

第6回:母親の死に目に会えず・・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/716/

第7回:不覚にも泣いてしまいました・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/719/

第8回:“コピーライター北野”、誕生。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/722/

第9回:落とし穴。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/725/

第10回:2度目の挫折、“振り出し”に戻る。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/728/

第11回:コンサルタントへの嫉妬
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/734/

第12回:不純な動機
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/737/

 

それで、、、、、

第2の起業も失敗に終わり、会社を解散させ、
社員も一人を残して全員解雇し、
500万円の負債をおって、いちコピーライターとして
再出発した時に、出会った“コーチング”。

“3度目の起業”が始まりました。

2005年10月から、コーチ・トゥエンティワンで
コーチングを学び始め、

その1年後・・・・。

2006年10月、
東京国際フォーラムで開催された
日本最大のコーチングイベント
「コーチングフェスタ2006」。

そこで私は、分科会で、
ゲストスピーカーとして壇上に立っていました。

テーマは
「プロコーチとして独立するためには」
というものでした。

著名な先輩コーチ陣に混じって、
コーチングを学び始めてまだ1年の私が、
分科会の壇上に立ちました。

 

ここでひとつ、言っておきたいことがあります。

「1年でプロコーチとしての基盤を創った。」

と言っても

私が、

「他のコーチの方よりも、
コーチングスキルが高かったか?」

というと、決してそんなことはありません。

 

私よりもコーチングが上手い方は
幾らでもいますし、NLPやカウンセリングの
スキルを持っているコーチの方も沢山います。

 

では、何が違っていたのか?

 

それは、私は、コーチングのスキルを
身に付けるのと同等に、いや、それ以上に、

————————————————–
「いかにコーチングを“商品”として売っていくか?」
————————————————–

・・・ということに力を注いだんです。

 

要するに“マーケティング”に徹底的に力を入れたんです。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

「コーチングは目に見えないサービスだから
売りづらい。説明もしづらい。」

だから、どうしたら売れるのか?を
徹底的に考えました。

ここで、コピーライターのスキルが生きてきました。

コピーライターは、

「いかにして、この商品を売ればいいか?」

を考えるプロなんです。

そのスキルが生きました。

「いかにして、“コーチング”を売ればいいか?」

そればかりを考え続けていました。

それが、同じ時期に
コーチングをスタートした周りのコーチよりも、
私が少し抜きんでることができた理由だと思います。

「北野さんは、クライアントを獲る、とか、
コーチングで稼ぐ、みたいなことばっかり言っている。
コーチらしくないよね。」

同業のコーチから、
そんなことを、面と向かって、
皮肉たっぷりに言われたこともあります。

でも、私は、最初から直感的に思っていました。

「コーチングは、有料でお金をもらってこそ、
コーチの側も、クライアントの側も本気になり、
はじめて成果が出て、コーチングの力も身につく。」

————————————————–
「クライアントを獲って、実践してこそ、
コーチングは上手くなる。」
————————————————–

そう思っていました。

 

だから、私は、今まで、
無料クライアントは一人もいません。

最初から全て有料クライアントでした。

もちろん、最初は1セッション2000円
という価格でしたが、それでも、
有料にこだわっていました。

 

結論です。

————————————————–
1.コーチングスキルをあげるには
有料クライアントで実践を積む必要がある。

2.有料クライアントを獲るには
マーケティングを身に付ける必要がある。

3.クライアントが獲れれば、スキルがあがり、
成果が出せるようになり、紹介などの
【好循環】が起こり始める。
————————————————–

 

これについては、ビデオでも話しています。

==================
・コーチングとマーケティングの
好循環モデルとは?
(2011年2月2日公開:再生回数656回)


==================
※是非、コメントや感想をお寄せくださいね。

 

プロコーチやコンサルタント、
セラピストとして独立し、成功するには、
コーチやコンサルとしてのスキルを磨くと共に、
“マーケティング”や“集客”のスキルも
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
同時に磨く必要があります。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

これは、どちらかが欠けても成り立ちません。

 

「成功するための両輪である。」
と北野は思っています。

 

コーチングやセラピストのスキルを
極めようとして、どんどん上級のコースに
行ったり、様々なセミナー、講座に
通っている方も多いのですが、、、、、

是非、“マーケティング”や“集客”も
身に付けて欲しいな、と思っています。

 

“マーケティング”を身に付けることで、
クライアントが獲れ、
それによって、コーチングスキルも逆に
早く伸びていくはずです・・・。

 

さて、3回目の起業で、
1年でコーチングビジネスを
何とか軌道に乗せた北野ですが、

まだまだ、「成功」とか「安定」には、
ほど遠い状態でした。

そして、次のターニングポイントが訪れます。

それは、結果としては「赤字」でしたが、
大きなきっかけとなりました。

では、次回をお待ちくださいね。

北野哲正

 

追伸1:

「北野さん、お薦めのメルマガってありますか?」

よく聞かれます。

それで、購読しておいた方がいいメルマガが
幾つかあるのですが、やはり、このメルマガは
インターネットでビジネスをやるなら、
「必須」だと思います。

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「世界を旅する年収1億円ブロガー川島和正さん」
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川島さんほど、たくさんのメルマガを
チェックしている人は他にいないと思います。

そして、実績を出し続けています。

そこから厳選した情報なので、かなり信頼性が高いです。
幅も広いです。

それと、、、、、何といっても、
「短い字数で人を引きつけるコピーライティング」が秀逸です。

めちゃくちゃ上手いです。

川島スタイルともいえるこの書き方は、フォロワーも多く、
ひとつのスタイルを確立しています。

是非、登録して読んでみることをお勧めします。
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追伸2:

youtubeのマイチャンネルへの登録者様が
1712名を突破しました!!!

日々、ご登録頂く方が増えていて、
本当に嬉しく思います、ありがたい話です、、、、
ご登録頂いた方、感謝です!

youtube独自の情報も配信するので、
是非、北野のyoutubeマイチャンネルに
登録してみてくださいね。
⇒ http://www.youtube.com/user/parade01

チャンネル登録の仕方ですが、TOPの、
北野が写っているタイトルバナーの右下に
「チャンネル登録」のボタンがあるので、
そこをクリックしていただければOKです。
⇒ http://www.youtube.com/user/parade01

 

【起業“初期”】不純な動機。

北野です、

このところ、北野の起業“初期”ストーリーを
書いていますが、今日は、最初に“お薦め”の情報を…。

私のコーチ仲間で、マーケティングに関しては
「女性版“北野”」という異名をとる、
一般社団法人全国コーチング普及協会の
「田中直子さん」が無料メールセミナーを
公開しています。
⇒ http://coachingfk.com/item/57529/4045/

「やりたいことが見つからない。」
「自分らしく生きたい。」

・・・と思っている方には最適な内容です。

田中さんは実績も人柄も素晴らしく、
また、マーケティングもかなりイケているので
是非、登録することをお勧めします。

こちらです↓↓↓↓↓
⇒ http://coachingfk.com/item/57529/4045/

ちなみに、田中さん、最近、入籍したばかりなので
幸せオーラ満載で、エネルギーをもらえると
思います(笑)

 

 

さて、、、、、、

私が、コーチングの勉強を始めたのは
2005年10月からでした。

これを書くと、「えっ!?」と嫌がる人も
いるかもしれないのですが、動機は
かなり“不純”でした。

 

多くのコーチングを始める人が思うような、

「人の成功をサポートしたい。」
「目標達成を応援したい。」
「プロコーチになりたい。」

というものではなく、単純に、

————————————————–
「儲かりそうだから。」
————————————————–

・・・・と思ったからでした。

 

経営していた広告制作会社が不振に陥り、
会社を解散させて、社員も一人を残して、皆、解雇。

売上げも低迷して500万円の負債を抱えたとき、

「広告制作やコピーを書くだけじゃ駄目だ。
何か、新しいことをやらねば・・・・。」

正直、藁(わら)をも掴む気持ちで、
コーチングに飛びつきました。

 

コーチングを仕事にすれば、
この苦しい現状を何とか打破できるかも・・・。

 

人を助けたい、とか、サポートしたい、
とかではなく、生活がかかっていた、自分のために
ガツガツガツ、、、という状態でした。

 

実は、コーチングを始めることになった
直接の引き金になったのは、当時、仕事を
していた広告代理店の営業マンの“一言”から、
でした。

 

それは、広告代理店で、地元の
マンション・デベロッパーの
「ブランドスローガン作り」の打ち合わせの
最中でした。

 

簡単に言えば、会社のキャッチフレーズ&
キービジュアルを作って、広告をして、
ブランドイメージを強化していこう、

・・・という仕事です。

 

で、その時、要望として
クライアント側から出たのが、

「広告で発信すると共に、
会社の内部にもキャッチフレーズを
浸透させる施策を考えて欲しい。」

というものでした。

その時、営業マンが、

————————————————–
「広告を発信するのは広告代理店の仕事だけど、
内部に浸透させるのは、“コーチング”とか
じゃないと無理なんじゃないの?」
————————————————–

と言ったんです。

 

「えっ、、、、、何、コーチングって???」

 

私の頭の中で、瞬時に様々な連想が生まれました。

 

「えっ、何? コーチングっていうのができれば、
キャッチフレーズを作って、
それを広告で発信させるだけでなく、
内部に浸透させることもできるのか???」

 

それって、俺があこがれて、嫉妬していた
「コンサルタント」の姿に近いんじゃないか・・・・・・。
※詳しくは昨日のメールを参照
・コンサルタントへの嫉妬
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/734/

 

————————————————–
コーチングを覚えれば、コンサルタントになれる。
————————————————–

そんな短絡的な、でも、ビビッ!と
稲妻が走ったような衝撃でした。

 

コーチングを覚えれば、
コンサルタントになれる。

 

今の悶悶とした、この最悪な経営状態を
何とかできるのではないか・・・。

 

安易な発想でしたか、
その時は、「これしかない!」と思いました。

 

その日の広告代理店での打ち合わせは
気もそぞろで、すぐに事務所に帰って、
「コーチング」という文字を検索しまくりました。

結果、「コーチ・トゥエンティワン
(現在のコーチ・エィ)」の
「CTP(コーチング・トレーニング・プログラム)」
を申し込むことになりました。

 

当時は、銀行振り込みしか対応しておらず、
また借金をして、575,000円を振り込みました。

 

それまで、「自己投資」や「セミナー」の類は
ほとんど経験がなく、当時の自分としては、
「清水の舞台から飛び降りる」
ような気持ちでした。

借金が500万円あるところに、さらに
借金をしたわけですから・・・・・。

 

かなり無謀でした。そして、動機も不純。

 

でも・・・・・

 

これが結果として「吉」と出ます。

 

これが今の、私の、コーチング、
コンサルビジネスのスタートになりました。

2005年10月のことです。

 

そこからすぐに営業活動を開始して、
コーチングの学習がスタートする2週間前には
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
既に、“有料クライアント”を獲得している、
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
という状態になっていました。

 

その時の状況とクライアント獲得の仕方
についてビデオで話してみました。

————————————————–
・コーチングを始める2週間前から
有料クライアントを獲得!
「北野式クライアント獲得トーク」とは?
(2011年2月1日公開:再生回数1163回)


————————————————–
※2011年にアップしたビデオです。
懐かしい六本木オフィスでの映像です…。

 

そして、コーチングを学び始めて数ヶ月・・・。

「クライアントが獲れない。集客できない。」
という周りのコーチたちを尻目に、

がんがんとクライアントを獲っていきました。

 

そして、その1年後。

 

400名が集まった
日本最大のコーチングイベント
「コーチングフェスタ2006」の分科会で
スピーチをするまでになりました。

 

何故、そんなことが起こったのか?

それは、私が、他のコーチとは決定的に違う
“あること”に気がついていたからだと思います。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

その“あること”とは、、、、、

次回、話しをしますね。

是非、コメントや感想、質問をお願いします。

 

北野哲正
(東京・麻布十番の自宅マンションにて)

追伸1:

このところお届けしている
北野の起業“初期”ストーリーのバックナンバー
です。

第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

第6回:母親の死に目に会えず・・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/716/

第7回:不覚にも泣いてしまいました・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/719/

第8回:“コピーライター北野”、誕生。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/722/

第9回:落とし穴。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/725/

第10回:2度目の挫折、“振り出し”に戻る。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/728/

第11回:コンサルタントへの嫉妬
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/734/

 

追伸2:

「集客」に悩んでいる方が一番最初に
やるべきこと。それは、、、、、

メルマガを始めること?
ブログをやること?
紹介を依頼すること?
Facebookで友達を増やすこと?

もちろん、それも大切ですが、
その前にやるべきこと、があります。

それは、

 

「自分自身の強みを明確にして、
セールスポイントをきちんと打ち出すこと」

 

いわゆる、

「USP(ユニークセリングプロポジション)」
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
を作るあげること
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

これが最初にやるべきことです。

USPが弱いと、その後のメルマガ、ブログ、
Facebook、紹介も上手く機能しません。

 

まずは、何はともあれ、「USP」です。

それで、私のコンサル仲間の
“USPディレクター”小籔宗博さんが、
USP構築のための「8つの秘密」を無料で
公開してくれています。
⇒ http://ofbe-wom.com/item/4157/2998/

小籔さんは、あの“営業の神様”、
“営業の世界記録ホルダー”
桑原正守さんの“秘書”的役割として
修行した時期もあり、
人柄、ノウハウ共に一流です。

是非、「集客の基礎から見直したい」
という方はこの無料情報を是非、チェックして
おいてくださいね。

————————————————–
・顧客から「選ばれる理由」をシンプルに
生み出す「8つの方法」【完全無料公開】
⇒ http://ofbe-wom.com/item/4157/2998/
————————————————–

【起業“初期”】コンサルタントへの嫉妬。

北野です、0H2A0362

このところ書いている起業“初期”ストーリーも
後半に差し掛かってきました。

これまでのバックナンバーはこちらから
↓↓↓↓↓
第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

第6回:母親の死に目に会えず・・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/716/

第7回:不覚にも泣いてしまいました・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/719/

第8回:“コピーライター北野”、誕生。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/722/

第9回:落とし穴。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/725/

第10回:2度目の挫折、“振り出し”に戻る。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/728/

 

 

さて、、、、、、、、

私は「コンサルタント」という
職種が大嫌いでした。

“口先だけで、自分の手を汚さず、
現場のことは知らず、理論を振りかざして
高額な料金をふんだくるペテン師”、

そんなイメージを持っていました。

コピーライターをやっていた頃、
はらわたが煮えくりかえることがありました。

しかも、1度や2度ではありません。

自分たちが心血注いで、徹夜をして、
全身全霊を込めてつくったコピーや広告案を
クライアントに提案した時に、

担当者から、

「うーん、北野さん、この案、いいのは
分かるんだけど、うちのコンサルタントの先生が、
OKって言わないんだよね・・・。」

マーケティングコンサルだか、
経営コンサルだか知らないが、
こっちは広告のプロなのに・・・
余計なことを言いやがって!

「お前たちに何が分かるんだ・・・・。」

そんな悔しい思いをしたことが何度かありました。

コピーライターとマーケティングコンサル。

実は、やっていることは
大差がなかったりします。

どちらも

「いかに物を売るか?販売戦略を立てるか?」

ということを考える仕事です。

 

ですが、こちらは、「下請けのライターさん」であり、
向こうは、「コンサルタントの先生」。。。。。

 

この違いは何だ??と思いました。

 

また、こんなこともありました。

「北野さん、うちのコンサルタントが指定した
広告制作事務所を使うことになったので、
残念だけど、仕事を出せなくなりました・・・。」

仲のよかった担当者に
申し訳なさそうに言われました。

 

むかつく、というよりも
本当に悔しかったです。

仕事が減っていた時期なので、
コンサルタントという職業の人に
心底、憎悪しました。

 

でも。

 

今考えてみると、
それは、コンサルタントへの「嫉妬」であり、
裏返せば、「羨望」や「憧れ」や「コンプレックス」
があったのかもしれません。

————————————————–
自分の知識や能力を武器に、高額の報酬を得る。
しかも、クライアントには
「先生」を呼ばれて尊敬される・・・・。
知的なイメージ、ステイタスのある職業・・・。
————————————————–

私の心の奥底に、憎悪と共に、
「コンサルタントへの憧れ」が芽生えていました。

 

さて、当時、私は、コピーライターとして
株式会社リクルートから独立し、
順調にビジネスを拡大させ、会社を作り、
スタッフも5人を雇い入れるようになりました。

でも、その成功も長くは続かず、
結局は会社を解散させ、スタッフも一人を残して
全員に辞めてもらい、500万円の借金を負い、
“振り出し”にもどりました。

 

一人のコピーライターとして出直しでした。

 

ただ、コピーライターとしてやっていくにも、
仕事が減り、限界を感じていました。

 

「何かを新しいことをやらねば・・・・・。
何か新しいスキルを身に付けねば・・・・。」

 

そして、2005年7月。

 

その“事件”は起こりました。

 

1回目の起業である「雑貨販売」、
2度目の起業である「コピーライター」
そして、“3度目の起業”を決意させる
“事件”が起こりました。

それは、広告代理店での
営業マンとの打ち合わせで彼の口から出た、
“ある一言”がきっかけでした。

それが、私の「コーチング」との出会いであり、
私を、「コンサルタント」への転身をさせる、
きっかけになりました。

さりげなく、何気なく出た“一言”です。

to be continued………

 

さて、、、、、今日の
起業“初期”ストーリーはいかがでしたか?

感想や気づき、質問を是非、コメントしてくださいね。

では、また、、、、、、、

 

北野哲正
(東京:麻布十番の自宅マンションにて)

 

追伸:

「集客」に悩んでいる方が一番最初に
やるべきこと。それは、、、、、

メルマガを始めること?
ブログをやること?
紹介を依頼すること?
Facebookで友達を増やすこと?

もちろん、それも大切ですが、
その前にやるべきこと、があります。

それは、

 

「自分自身の強みを明確にして、
セールスポイントをきちんと打ち出すこと」

 

いわゆる、

「USP(ユニークセリングプロポジション)」
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
を作るあげること
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

これが最初にやるべきことです。

USPが弱いと、その後のメルマガ、ブログ、
Facebook、紹介も上手く機能しません。

 

まずは、何はともあれ、「USP」です。

それで、私のコンサル仲間の
“USPディレクター”小籔宗博さんが、
USP構築のための「8つの秘密」を無料で
公開してくれています。
⇒ http://ofbe-wom.com/item/4157/2998/

小籔さんは、あの“営業の神様”、
“営業の世界記録ホルダー”
桑原正守さんの“秘書”的役割として
修行した時期もあり、
人柄、ノウハウ共に一流です。

是非、「集客の基礎から見直したい」
という方はこの無料情報を是非、チェックして
おいてくださいね。

————————————————–
・顧客から「選ばれる理由」をシンプルに
生み出す「8つの方法」【完全無料公開】
⇒ http://ofbe-wom.com/item/4157/2998/
————————————————–

 

【起業“初期”】2度目の挫折、“振り出し”に戻る。

北野です。0H2A1972

このところ、北野の起業“初期”ストーリーを
書いています。

昨日は、“第2の起業”のところまでを
書きました。

北野は、これまで、2度、起業に失敗しています。

今、現在が“3度目”なのですが、
“第2の起業”の失敗の兆候について、昨日、
書きました。

こちらです。
↓↓↓↓↓↓
————————————————–
・第9回:落とし穴。
⇒  http://con-labo.jp/2014/04/725/
————————————————–

 

北野は、30歳の時に、“第2の起業”で、
コピーライターとして独立し、
デザイン会社も立ち上げ、
社員も5名にまで増えました。

マンションを買い、外車にも乗るようになり、
私の『2度目の起業』は順調そうに見えました。

ですが、心の奥底には、
“漠然とした不安”がぬぐえませんでした。

コピーライター、広告制作の仕事は、
『待ち』のビジネスであり、『受注仕事』であり、
どんなにカッコいいことを言っても、
『下請け』でした。

いつ広告代理店から切られるか、
そんな不安をいつも抱えていました。

ある年、こんなことがありました。

地元の広告代理店の仕事で、
リサイクルショップを全国チェーン展開する会社の
広告やプロモーションを手掛けました。

1年間で2000万円ぐらいの売上げがありました。
その年のうちの会社のメインクライアントでした。

 

が、、、、、、翌年、先方の担当者が代わり、

「別の広告代理店を使うことになりましたから。」

とあっさり切られ、翌年は
その仕事が0円に、ということがありました。

『2000万円』が『0円』なったのです。

 

もちろん、それに代わる他の仕事が入り、
何とか売上は確保しましたが、

「たまたま、ほかの仕事が入ったからよかったが、
一斉に仕事がなくなったら・・・・。」

そう思うと、不安でしょうがありませんでした。

 

不安だから、どんどん手を広げて、
どんな小さな仕事でも請け負うようになっていく・・・。

そのために、人も増やさざるを得ませんでした。
正直、5名の社員というのはかなり余剰でした。

周りには順調そうに見せていましたが、
社員の給料の支払いはきつくて、
そのために借り入れをする、ということも
ありました。

 

「俺は何のために働いているんだ・・・?
社員の給料を払うためか・・・?」

 

コピーライターとしてのやり甲斐よりも、
売上や支払いに追われる生活になっていました。

 

そして、ある時、『事件』が起こりました。

 

右腕であった部下のコピーライターと
メインのデザイナーが組んで、独立することに
なったんです。

 

「正直、北野さんの下で働くのはうんざりです。
もっと自由にやりたいことをしたい。」

 

えっ、、、、、、
ここまで俺が育ててやったのに・・・・。

 

「裏切られた。」・・・・そんな気持ちでした。

 

でも、彼にしてみれば、
「育ててもらった。」などという感覚は
なかったかもしれません。

当時の私は、完全なワンマンで、
気に入らないことがあると、
「辞めてもらってもいいんだよ。」
というようなことを平気で言う、最低な経営者でした。

社員を育てる、というよりも、
「道具」として見ていたかもしれません。

 

社員は半年~1年で入れ替わることが多く、

「コピーライターやデザイナーは職人だ。
修行が必要だ。根性のない奴は辞めればいい。」

そんな風に思っていたので、
あまり気にもとめていませんでした。

 

ですが、この2人の離反は痛かった。

 

かなりの仕事を任せていたので、
結局、独立後、会社全体の仕事の3分の1が、
彼らに流れることになりました。

 

広告代理店からは、

「北野さん、申し訳ない。彼らが仕事を
よくわかっているし、値段も安く
やってくれるからね・・・・。」

そんな風に言われては、こちらも引くしかありません。

 

悪いことは重なるもので、
その頃、自分の不注意で足を骨折しました。

 

取材や打ち合わせの仕事が多い
コピーライターにとって、足の骨折は、かなり致命的。

 

「仕事を断ると、次の仕事が来なくなる・・・。」

 

そんな不安もあって休むわけにもいかず、
ある時、広島での取材が入り、
オートマの軽自動車を借りて、
ギブスをつけたまま、独りで運転して、
強風の中、瀬戸大橋を渡って取材に・・・・

・・・・ということもありました。

 

当然、売上も激減しました。

 

結局、その3ヶ月後、
デザイン会社は解散させました。

「これ以上やっていても借金が膨らむだけ、」
という苦渋の決断でした。

 

社員も1人を残して
全員辞めてもらうことになりました。

なんとか、辞めた社員には再就職の斡旋は
したのですが、それは、今でも申し訳なく
思っています。

 

それで、私の元に残ったのは
500万円の借金と、社員が1人。

 

結局、2度目の起業は、浮き沈みを経験しつつ
振り出しに戻った・・・・・、というのが実感でした。

 

借金の額は、1度目の起業時よりも
少なかったのですが、
挫折感は深かったかもしれません。

 

一度、上手くいっていた分、後悔の念や、

「あの時、あいつが辞めなければ・・・
怪我さえしなければ・・・。」

・・・という悔やみばかりが残りました。

 

ですが、この経験が
また生きてくることになります。

 

『3度目の起業』にトライする
チャンスに恵まれたのですから。

 

3度目の起業。

 

それは、「コーチング」との出会いであり、
コンサル業の開始であり、
現在の、“コンサルタントプレナー”の支援に
つながっていく起業となります。

 

本当に、自分が活かせて、やり甲斐があって、
本当にクライアントの方に
喜んでもらえる仕事との出会いです。

 

さて、、、、、、、、

 

ここまで、数回に渡って、私の
起業“初期”ストーリーを書いてきましたが、
いかがだったでしょうか?

色々な方に感想やコメントをいただき、
ここまで書き進めてくることができました。

たくさんのメールもいただきました。

なかなか返信ができないのですが、
ひとつづつ読んでいます。

本当にありがとうございます。

今日の感想やコメントもぜひ
お願いします。

 

ここからが、今の北野につながる

————————————————–
「コーチ、コンサルタントとしての
起業ストーリーの始まり」
————————————————–

です。

 

具体的なノウハウや方法、
経験談も盛り込んでいきます。

あなたが、もしかしたら
一番聞きたい内容かもしれません。

私も、かなり気合いを入れて、記事を書き、
動画で話しをしていきますね。

 

何とか役立つ内容にしていくので、
楽しみにしていただきたいと思います。

 

では、今後ともよろしくお願いいたします。

 

北野哲正

 

追伸1:

起業“初期”ストーリーのバックナンバーです。
是非、コメント、感想、お待ちしています。

あなたかたのコメントが励みになります。

 

第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

第6回:母親の死に目に会えず・・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/716/

第7回:不覚にも泣いてしまいました・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/719/

第8回:“コピーライター北野”、誕生。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/722/

 

追伸2:

youtubeのマイチャンネルへの登録者様が
1690名を突破しました!!!

日々、ご登録頂く方が増えていて、
本当に嬉しく思います、ありがたい話です、、、、
ご登録頂いた方、感謝です!

youtube独自の情報も配信するので、
是非、北野のyoutubeマイチャンネルに
登録してみてくださいね。
⇒ http://www.youtube.com/user/parade01

 

チャンネル登録の仕方ですが、TOPの、
北野が写っているタイトルバナーの右下に
「チャンネル登録」のボタンがあるので、
そこをクリックしていただければOKです。
⇒ http://www.youtube.com/user/parade01

【起業“初期”】落とし穴。

北野です、

最近、この北野の【CL通信】を
読み始めた方も多いと思うので、まずは
プレゼント企画のご案内です。

昔からの読者の方にはお馴染みですよね・・・・・・。

“あのプレゼント”です。

そう・・・・すでに4000件以上ダウンロード
されている“魔法の音源”です。

こちらです↓↓↓↓↓
==================
『集中力が出る“魔法の音源”』
⇒ https://24auto.biz/kitano9160/touroku/thread14.htm
※簡単なアンケートに応えて頂くことになっています。
==================

ちょっとしたアンケートに答えて頂ければ、
ダウンロードURLを送ります。

ちなみに、、、、、、、

————————————————–
40分間に渡る雨音の音源
————————————————–

です、、、、、、。

 

ただただ40分間、ずーっと雨音が(かなりの強めの)
流れる音源です、それだけのものです。

ただ、これ、北野がメンターからもらったもので、
そのメンターも彼のメンターからもらったもの、
なんです。

 

そう考えると、、、、かなりの価値を感じませんか?

 

北野は、ここ一番のコピーを書いたり、
重要なプロジェクトのプランを練る際、
この音源を使います。

この音源を聴きながら仕事に取り組むと、
凄く集中できます。

是非、ご活用くださいね。

==================
『集中力が出る“魔法の音源”』
⇒ https://24auto.biz/kitano9160/touroku/thread14.htm
※簡単なアンケートに応えて頂くことになっています。
==================

 

 

さて、、、、、

このところ、北野の起業“初期”ストーリーを
書いています。

コメントの数も少しづつ、増えてきました。

コメントはかなり励みになるので、是非、
あなたからのコメントもお待ちしています。

第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

第6回:母親の死に目に会えず・・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/716/

第7回:不覚にも泣いてしまいました・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/719/

第8回:“コピーライター北野”、誕生。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/722/

 

最初の起業に失敗し、800万円の借金を負い、
クレジットカードと消費者金融を
限度枠いっぱいまで借り、
株式会社リクルートのアルバイト社員として、
3年8ヶ月。

その、株式会社リクルートから
「コピーライター」として独立しました。

これが“第2の起業”となりました。

独立の3ヶ月前には結婚もしました。

株式会社リクルートのアルバイト時代は
基本給146000円で、何とか、残業代で
生活がなりたっている状態でした。

もちろん、まだ、借金もありました。

妻には、
「あなたの将来性と可能性にかける。」
と言われていました。(見る目があるな、、、)

もちろん、新婚旅行に行く余裕は
ありませんでした。

 

ですが、、、、、、、

コピーライターとして独立してからは、
本当に運にも恵まれ、順風満帆なスタートでした。

丁度、リクルートが、
「制作部門のアウトソーシング化」
を進める時期と重なり、
私がやっていた仕事を、そのまま外部スタッフとして
請け負うことになりました。

これで生活のベースが確保できました。

そして、独立前に地元の広告業界で
人脈づくりに励んでいたことが生きてきました。

 

大手広告代理店の旭通信社の
(※現在のADK:アサツーディケイ。
電通、博報堂に続く、第3位の大手広告代理店)
外部プランナー、コピーライターとして
仕事を請け負うことができました。

ローカルで仕事をするには、
やはり、地元の人脈は大切です。

大学の県人会などにも顔を出し、直接、
パンフレットの仕事などをもらったりもしました。

 

独立一年目は、

「800万円ぐらいの売上げを上げたい。」

と思っていましたが、結果的には、
その2倍以上の売上になりました。

 

ADKからの最初の仕事は、大手通販会社の
通販チラシの仕事だったのですが、
なんと、1本40万円というギャラでした。

 

「コピーライターって、ペン一本で、
こんなに儲かるのか・・・。」

 

それが実感でした。

そして、ADKのほかにも、
電通や博報堂からも声がかかるようになりました。

岡山や広島などの県外からも
仕事が入ってくるようになりました。

 

そして2年後……。

それまでは自宅を兼ねた事務所でしたが、
別に事務所を構え、スタッフも雇い入れました。

マンションも購入しました。

 

自力で、一般の同世代のサラリーマンよりも、
遙かに稼げるようになってきました。

 

稼げるようになって、うれしかったのは、
確執があって「頼むから出て行ってくれ!」
と言われた父親との関係が修復できたことでした。

 

父は、コピーライターがどんな仕事かは
分かっていないようでしたが・・・。

父は警察官で堅い人でしたから、

「独立するよりも会社勤めが一番。
できれば公務員が一番いい。」

…と思っている人です。

ですが、結婚をし、マンションも買い、
時には、父親や姉夫婦をつれて、食事に
招待することもできるようになり、

「やっとお前も、
何とか1人前になってきたか・・・・。」

そんな風に思ってくれたようでした。

 

「健康だけには気をつけろよ・・・・。」

そんな普通の親子の会話が
できるようになっていました。

 

そして、、、、、、仕事の方は
さらに拡大をさせていきました

元・電通のアートディレクターと組んで、
デザイン会社も作りました。

その会社と、自社のスタッフで、
ピーク時には5名の社員を抱えるまでに
なりました。

 

独立してから、常に売上は右肩あがり。

 

「俺はコピーライターとして才能がある。
マネジメントもできる。経営者としてもイケテイル。」

 

思えば、この時が、
絶頂期だったかもしれません。

自信満々で、正直言って、
“天狗”になっていたかもしれません。

外車(アルファロメオGTV)も購入したり、
海外旅行にも頻繁に行くようになりました。

 

ですが、、、、、、、、、、

 

ここに“落とし穴”がありました。

 

そこから数年後、北野は、結局、
そのデザイン会社を解散させ、
社員を全員辞めさせ、
再び、借金を背負うことになります・・・・。

 

詳しくは、明日、また書きますが、
今日は、

「順調に思えたビジネスが行き詰まる原因」

についてビデオで話してみました。

————————————————–
・“この要素”が強いビジネスは危険!?
————————————————–
なぜ、順調に売上を伸ばしていた
北野のビジネスが再度、破綻したのか?

 
————————————————–
※2011年1月24日にアップした動画です。
髪型がいけていません…(苦笑)

 

ビデオの中でも語っていますが、
“この要素”が強いビジネスは、危険だな、と思います。

あなたのビジネスが、“この要素”が
強すぎる場合は、注意する必要があるのでは?
と思っています。

是非、ビデオを観て、感想、コメントをくださいね。

 

では、また。

 

なかなか人生、思うようにいきません。

 

でも、、、、、、色々なことを経て、だんだんと、

「本当にやりたいことに近づいていく。」、

そんな風にも思っています。

 

北野哲正
(東京・麻布十番の自宅にて)

 

追伸1:

「北野さん、お薦めのメルマガってありますか?」

よく聞かれます。

それで、購読しておいた方がいいメルマガが
幾つかあるのですが、やはり、このメルマガは
インターネットでビジネスをやるなら、
「必須」だと思います。

こちらです↓↓↓↓↓
————————————————–
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「世界を旅する年収1億円ブロガー川島和正さん」
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日本最大になるからには理由があります。

川島さんほど、たくさんのメルマガを
チェックしている人は他にいないと思います。

そして、実績を出し続けています。

そこから厳選した情報なので、かなり信頼性が高いです。
幅も広いです。

それと、、、、、何といっても、
「短い字数で人を引きつけるコピーライティング」が秀逸です。

めちゃくちゃ上手いです。

川島スタイルともいえるこの書き方は、フォロワーも多く、
ひとつのスタイルを確立しています。

是非、登録して読んでみることをお勧めします。
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追伸2:

こちらもお薦めです。

私のコーチ仲間で、マーケティングに関しては
「女性版“北野”」という異名をとる、
一般社団法人全国コーチング普及協会の
「田中直子さん」が無料メールセミナーを
公開しています。
⇒ http://coachingfk.com/item/57529/4045/

「やりたいことが見つからない。」
「自分らしく生きたい。」

・・・と思っている方には最適な内容です。

田中さんは実績も人柄も素晴らしく、
また、マーケティングもかなりイケているので
是非、登録することをお勧めします。

こちらです↓↓↓↓↓
⇒ http://coachingfk.com/item/57529/4045/

 

【起業“初期”】“コピーライター北野”、誕生。

北野です、

このところ、北野の起業“初期”ストーリーを
書いていますが、徐々にコメントが増えてきました。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/719/

それで、昨日は、こんなコメントを頂きました。

————————————————–
ここ6回の北野さんの起業“初期”ストーリー、
興味深く拝見しております。

その中でも今回は、本当に私の状況が見えてるのかしら
と思うくらい自分にマッチした内容だったので、驚きました。

私は今まさに、「自分がやりたいこと」が
全く見えなくなっていて悩んでいる状況です。

「今、目の前にあることに全力で
取り組める人だけに、次のチャンスが訪れる。」

今の私に足りないのはこれだな、と思いました。

どうしても「ほかにやりたいことや
出来ることがあるのではないか」と思って、
脇道に逸れて、中途半端にできてしまったか
らタスクが増えて、結局いろいろなことが
できなくなるという状態でした。

今は目の前に、いろいろなことがありすぎる状態です。
これから少しずつ整理しつつ、集中していこうと思います。

p.s.
コメントを書いているうちに頭の中が整理されて、
自分の中にさらに落とし込まれてきました。
本当にコメントを書くって重要ですね!
————————————————–

 

satoさん、コメント、ありがとうございます、

厳しいかもしれませんが、本当に、

==================
「今、目の前にあることに全力で
取り組める人だけに、次のチャンスが訪れる。」
==================

これしかないんですよね、、、、、

目の前のことに集中して、
何とか乗り切っていきましょう。

 

 

さて、、、、、、

 

「広告業界でやっていく。
コピーライターとしてやっていく。」

本当にやりたいことかどうかは
まだ分からないけれど、
まずは目の前の仕事に全力を尽くす。

借金が800万円まで膨らみ、
クレジットカードと消費者金融で
限度枠いっぱいまで借り、
日給6500円のアルバイト社員。

 

「自分には、ここでがんばるしかない。
コピーライターで行くしかない。」

 

選択肢は他になかった。
だから、迷いもなかった、

それが本当のところかもしれません。

でも、そこから変わりました。

この決断後の一年間(28歳の1年間です)は、
生まれてこの方、「一番頑張った一年間」でした。

 

毎年、元旦に目標を立てるときに
思うことがあります。

 

「あの、28歳の時以上に、がんばる年にしたい・・・。」

 

でも、あの時を越えるほど、
がんばった年はまだありません。

その位、がんばりました。
その“がんばり”が、今の自分の支えになっています、
そんな濃密な一年間でした。

 

中途アルバイトとしてのスタートだったので、
リクルートの若い社員と比べて
年齢の割に、スキル面では出遅れていました。

 

そこで、考えたのが、

————————————————–
「どうやったら、短期間で
コピーライティングが上手くなるか?」
————————————————–

ということでした。

 

「がむしゃらにやっても駄目だ。
それでは周りに追いつけない。
どうすれば早く追いつき、追い越せるか?」

まずやったのがモデリングでした。

その当時は、モデリングなんて言葉は
知りませんでしたが、リクルートの社内で
結果を出している制作ディレクターに
内線でかたっぱしから電話して、
ノウハウを教えてもらいました。

そして、自分がいいな、と思った広告、記事などを、
どんどんスクラップブックに収めていきました。

企画力を磨くために、
出来上がっている広告を見て、
「どんな風に企画していったのか?」
を逆算して想像してみる、
ということもやりました。

電通が出していた「広告大百科」をいう資料を
また借金して、20万円で買いました。

「一流」と言われているデザイナーや
コピーライターと仕事をするようにして、
わざわざ香川から大阪や東京まで、
打ち合わせにいきました。

そして、効果のあった求人広告を
毎日、書き写す、ということをやりました。

いわゆる、『写経』というやつです。

これは特に効果的でした。

建設会社で効果のあった求人広告を書き写して、
それを食品会社向けにアレンジしたり、
ソフトウェア会社向けにアレンジしたり、

・・・・ということをやっていました。

 

手で書き写す、
というのがよかったように思います。

 

指先から魂が宿る・・・・そんな感覚です。

 

実は、当時の北野の仕事は、コピーを書くことではなく、
コピーライターやデザイナーに仕事を依頼して、
広告を作る、いわゆる、
“制作ディレクター”の仕事でした。

 

で、これが“極めつけ”なのですが、

コピーライターに仕事を発注し、
料金もきちんと支払った上で、

————————————————–
コピーライターの代わりに、自分でコピー書き、
それをコピーライターの方に添削してもらう
————————————————–

・・・・ということをやり始めました。

 

当然、通常の制作業務とは別に、
コピーを書く仕事をやるわけですから、
労働時間は激増していました。

毎日、夜、10時前に帰ることはなく、
土日もほぼ出勤していました。

残業時間は毎月200時間を越えていました。

本社の人事部からチェックが
入ったこともありました。

一回、血尿が出たときは、さすがに驚きましたが、、、。

 

ですが、、、、、

 

これがよかった。
これでスキルが短期間で身についた。

 

そう思います。

 

そして、2年後・・・・・・・・。

当時、リクルートでは、『アド(広告)コンテスト』
という毎月の広告コンテストがあり、

その年間ポイントで、
「制作マンランキング」というものが
発表されていました。

その制作マンランキングで、
北野は、『年間総合3位』になることができました。

上位者は、東京、大阪の正社員の
制作ディレクターがひしめく中、
四国支社からの、しかもアルバイト社員がランキング入り、
ということで、逆に目立っていた、と思います。

 

「四国に凄い奴がいるぞ・・・・。」

 

本社の制作本部でも、
ちょっと話題になっていたそうです。

日本武道館での社員総会で、
ステージに立つこともできました。

ただ、その時もアルバイト社員のままでした。

膨大な残業代でなんとか
人並みの手取金額にはなっていました。

ちなみに、その頃は、「日給6500円」から
月給制に変わり、「基本給で月給146000円」に
なっていましたが、、、、。

相変わらず、生活は全く余裕がなく、
借金を少しづつ返す生活が続いてました。

 

ですが、、、、、、、

『コピーライティング』というスキルを
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
手に入れたことで、自信がついてきました。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 

周りにも評価もしてもらえるようになりました。

 

社内の勉強会に講師として呼ばれ、
「教える楽しさ」も知ることができました。

もしかしたら、これが、今のコーチ、コンサル業に
つながっているのかもしれません。

 

そして、おぼろげではありますが、
“未来”というものが見えてきました。

 

「これで俺も、何とかやっていけるのではないか?」

リクルートにアルバイト社員として
入社して3年と8ヶ月。

「コピーライターとしてやっていく!」と決断して、
2年と8ヶ月。

 

そして、私は、コピーライターとして
独立することを決意しました。

 

これが、“2度目の起業”です。

 

それで、今日は、『スキル』というものに
ついて話したビデオを引っ張り出してきました。
(2011年1月21日にアップしたビデオです。
なんか、若いです・・・・)

何かひとつに打ち込めば、
それは『スキル』になります。

『スキル』は自信につながります。
自分を支えてくれます。

そして、未来を照らすツールになります。

でも、その時、大切なことがあります。

==================
・『スキル』を身に付ける上で、最も大切なことは?
マスターを目指していくためには“これ”を・・・・。
(2011年1月21日公開:再生回数673回)

==================

このマインドでいかないと、
いくら頑張っても「使えるスキル」に
ならないのでは?と思っています。

是非、ビデオを観て、感想をくださいね。
コメントを書くことで、あなたにも、何か気づきが
生まれるかもしれません。

では、次回は、コピーライターとしての
“第2の起業”について話していきますね。

第2の起業は・・・・最初は、順調そのものでした・・・。

 

北野哲正
(香川県のオフィスにて)

 

 

追伸1:

「北野さん、お薦めのメルマガってありますか?」

よく聞かれます。

それで、購読しておいた方がいいメルマガが
幾つかあるのですが、やはり、このメルマガは
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「短い字数で人を引きつけるコピーライティング」が秀逸です。

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不覚にも泣いてしまいました、、、。

北野です、

久々に香川県のオフィスから記事を
書いています。

週末は、金曜日は、菅谷信一さんの
「youtube戦略セミナー」へ、

土曜日は、遠藤晃さんのチームNo.1の
「ストーリーテリング」の勉強会に参加して
きました。

どちらも「いい学び」がありましたね~、
参加者のレベルも高く、刺激もいっぱい
もらいました。

このところ、オープンセミナーにはあまり参加
していなかったのですが、やっぱりいいですね、
これから、いいセミナーを厳選して、
色々と参加していきたいと思います。

 

さて、、、、、

このところ、北野の起業“初期”ストーリーを
書いています。

バックナンバーはこちらです。

コメントの数も少しづつ増えてきました。
是非、感想等いただけると嬉しいです。

第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

第6回:母親の死に目に会えず・・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/716/

 

 

「北野、ちょっといい?」

 

人生の転機というものは、

ドラマティックな出会いがあったり、
天から掲示が降りてきたり、
凄いセミナーに出たり、

・・・・・という風にして
突然、起こるものだと思っていました。

ですが、私の場合は、“大きな転機”は、

「北野、ちょっといい?」

そんな何気ない、上司からの呼びかけで始まりました。

 

その頃、株式会社リクルートに入社して
1年が経とうとしていました。

一度、起業に失敗し、大阪から実家の香川に
夜逃げ同然で戻り、日給6500円で
リクルート四国支社のアルバイト社員として入社。

起業の夢が捨てきれず、
「2足のわらじ」で、雑貨販売などの
副業に手を出していました。

でも、さらに状況は悪化して、
借金は800万円まで膨らんでいました。

クレジットカード5枚のキャッシングをMAX
まで借りて、外注先のデザイナーさんにも
借金をし、○○ファイナンスという消費者金融系
にも複数、お金を借りていました。

 

 

「北野、最近、副業の調子はどう?
凄く、疲れているようだけど、大丈夫か?」

 

その上司というのは
リクルート四国支社の支社長でした。

彼は、私が入社して、3ヶ月後に、
関西から移動で四国支社の支社長として赴任しました。

支社長といっても、私よりも2~3歳上だけ。

その若さで支社長というだけであって、
かなりのやり手でした。でも、気さくな兄貴、
のような感じでもありました。

「自分は起業を考えていて、
副業をやりながらリクルートに勤めている。」

・・・という話は、既にぶっちゃけ話で
支社長にしていました。

 

だから、「副業が軌道に乗れば会社は辞める。」
という話もしていました。

 

季節は12月。リクルートの仕事も
繁忙期に入っていました。

私の方はというと、
借金が800万円に膨らみ、
クレジットカードの引落である10日近辺は、
半日会社を空けて金策に走り回る、
という状態でした。

 

もう、限界のところまできていました。

周りからみても、「大丈夫?」
というぐらい顔色も悪く、
何よりも、イライラとピリピリの
負のオーラをまき散らしていたと思います。

当時は携帯電話もなく、消費者金融から会社に
直接電話が入るような状態でした。

彼らは社名を変えて
電話をしてくるんですよね。

 

「北野、ちょっと状況を全部話して見ろ。
力になれるところは力になるから・・・。」

 

そう言われて、今までの緊張の糸が切れたのか、
自分の状況を一気に支社長に吐き出しました。

借金のこと、夜逃げのこと、父親のこと、母親のこと、
クレジットカードのこと、他にも借金があること、
仕事先のデザイナーにも借りていること・・・・

一気に話しました。

 

そして、

「消費者金融からも電話が入り、
これ以上、会社にいるとみんなに
迷惑をかけそうなので、もう辞めたい・・・・」

そんな話もしました。

すると、支社長は・・・・・・笑いながら、

 

「みんな迷惑だとは思ってないよ。
“北野さん、しょうがないなぁ・・・・”
という程度にしか、思っていない。
逆に、面白がっている。
所詮、人ごと。人の不幸は面白い(笑)
何とも思っちゃいないって!」

 

あっ・・・そうか・・・・・・
みんな、面白がってるんだ・・・。

この言葉を聞いて、気が凄く楽になりました。

そして、支社長は、

「仕事ぶりをみていて思うが、
俺はお前を評価している。制作マンとして、
コピーライターとしてお前は才能がある。
副業は一切辞めて、この仕事に集中してみろ。

そこから正社員になってもいいし、
コピーライターとして独立するという道もある。」

 

そして、

「借金のことも、全て親父さんに話してみろ。」

と。

この言葉をもらって、不覚にも、私は、
涙を流してしまいました。

仕事関係で泣いたのは、
後にも先にも、この時だけでした。

話を聞いてくれる人がいる。そして、
自分を評価してくれている人がいる。
「気にするな。」と笑い飛ばしてくれる人がいる。

これが、力になりました。
私の転機になりました。

リクルートの仕事はアルバイトではありましたが、
求人広告を作る仕事は面白く、取材も楽しく、
真剣に取り組んでいました。

180時間、270時間、230時間という
残業が3ヶ月続き、血尿を出して倒れたことも
ありました。

 

でも、、、、、凄くやりがいを感じていました。

 

「よし、、、、この業界で本気でやってみるか。
コピーライターを目指してみるか。」

 

元々コピーライターに
なりたかったわけではありません。

これが、自分の一生の仕事かどうかも
分かりませんでした。

本当にやりたいことかどうかという
確信もありませんでした。

 

ですが、

————————————————–
今の自分にできるのは、これだ。
これしかない。とにかく、これに集中してみよう。
————————————————–

その決めました。

 

この決断が、転機になりました。

 

もしかしたら、
この記事を読んでいるあなたは、

「“本当にやりたいこと”が見つからない。
だから、行動できない。モヤモヤしている。」

・・・・という、当時の私と
同じ状況にあるかもしれません。

 

私もそうでした。

「副業の雑貨販売がやりたかったことか?」
と言われれば、そうではありませんでした。

 

コピーライターにしても、その時は、
「本当にやりたかったことか?」
と言われれば、そうではありませんでした。

 

でも、今だから思うことがあります。

 

今日は、ビデオでこんなことを話してみました。

————————————————–
・“本当にやりたいこと”に出会うには、
「あること」を経験する必要がある。それは、、、
(2010年4月27日公開:再生回数2434回)


————————————————–

実は、このビデオ、2010年の4月に撮影したものです。

いやー、恥ずかしい・・・若いね(苦笑)
でも、2434回も再生されているんですね・・・。

 

迷いながらも、「もしかしたら、これか?」
と思ったことに全力で取り組むことで、
次の道が開ける、そんな風に思います。

こんな言葉を聞いたことがあります。

==================
「今、目の前にあることに全力で
取り組める人だけに、次のチャンスが訪れる。」
==================

是非、ビデオを観て、感想をください。
コメントをください。コメントを書くことで、
あなたの中に気づきが生まれることもあります。

 

では、次回、この“転機の後の北野の変化”
について話をしていきます。

 

北野哲正
(香川県のオフィスにて)

 

追伸:

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北野です、

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さて、、、、、

このところ、北野の起業“初期”ストーリーを
書いています。

バックナンバーはこちらです。

第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

 

北野は、一度、起業に失敗し(25歳の時です)、
大阪から実家の香川に夜逃げ同然で戻り、
日給6500円で「株式会社リクルート四国支社」に
アルバイト社員として入社しました。

それでも起業の夢が捨てきれず、
「2足のわらじ」で、雑貨販売などの副業に
手を出していました。

 

でも、さらに状況は悪化して、
7~8枚のクレジットカードを
限度枠いっぱいまで借りて、
綱渡り的な状況で何とか回していました。

 

そして、、、、実家に戻ってから1年、、、、
借金は800万円にまで膨らんでいました。

 

お金の不安、将来への不安、
さらに、きつかったのが父親との確執でした。

私は、母親を社会人1年目の時に亡くしました。
実は、死に目に会えていません。

母は「原発性肺高血圧症」という
厚生省指定の、原因不明の難病にかかり
それが、私が高校3年生の時に発覚しました。

医者からは「もって3年。」と言われましたが、
結局、7年間、もってくれました。

病名は母親には知らせないままで、
このことは、父親と私と姉の3人だけの秘密でした。

 

当然、父親からは、

「看病のこともあるし、お前は、
地元の大学に行って、地元に就職してくれ。」

・・・と言われました。

ですが、私は、父親の反対を押し切り、
東京の大学へ行き、東京・大阪で就職しました。

 

「いずれは起業したいし、都会じゃないと
駄目だ!」と勝手に思い込んでいました。

 

母は、自分の病気のことは知りませんから、

「好きな大学へ行かしてあげればいいじゃない・・・。」

と、父に言っていました。

 

それがとてもつらかったのですが、
結局、自分の我を通して、大学も就職も、地元で、、、、
という選択はとりませんでした。

 

そして、母は、私が社会人1年目の
2月に亡くなりました。

これは本当に不思議な話なのですが、
母が死ぬ3日前、私は、なぜか、
大阪から香川に帰ってきて、
入院している母親を見舞いに行きました。

 

それまで、盆と正月の帰省時しか
実家に帰らなかったのですが、
突然、思い立ちました。

 

虫の知らせ、なのでしょうか。。。。。。

 

その時、母は元気で、
「仕事どう?」「彼女、出来た?」
なんて会話を交わしたのを覚えています。

 

そして、私は、大阪に帰り、その3日後、
母は、様態が急変して亡くなりました。

 

母の死に目には会えず、でした。

3日前に元気な姿に会えたのが
せめてもの救いでした。

 

そんな経緯があったので、私が借金をして、
大阪からバンに荷物を積んで帰ってきた時、

 

父に、

「お前は薄情な奴で、一生帰ってこないと思っていた。
今さら、どうして帰ってきたんだ??!!」

と罵倒されました。

 

言い換えすこともできず、かといって
経済的にも実家に戻るしかなかった私は、
ぐっと唇を噛みながら、耐えていました。

そこから、7年ぶりの
父親との生活が始まりました。

父は警察官でした。

朝が早い生活でした。

一方、私は、仕事がハードで有名な
株式会社リクルートに勤務で、残業残業で夜が遅く、
午前中はフレックス出勤。

かなり真逆な生活でした。

父親が寝た頃に、私が帰宅する・・・・。

物音で父は目が覚め、
そこから寝られず、不眠症になっていました。

 

「この歳になって、息子にこんな迷惑を
かけられるとは思っていなかった。
頼むから、早く出て行ってくれ!」

 

本当に言い返す言葉がありませんでした。

 

「もう孫がいる同僚もいるのに、、、
それなのにお前は、定職にもつかず、
借金を背負って、本当に情けない・・・。」

 

父に、「申し訳ない・・・。」と思いつつ、

「父親なんだから助けてくれよ。」と、
心の底では、まだ身勝手で
甘いことを言っている自分がいました。

 

この時が、今、振り返ってみると、
経済的にも、精神的にも、
「どん底」の時だったかもしれません。

 

ちょっと重く、暗い話になってしまいましたが、
これが真実です。

それで、今日は、動画ではこんなことを
話してみました。

めちゃくちゃ重要な話です。
↓↓↓↓↓
————————————————–
あなたはどちらのタイプですか?
・「追い詰められて力を発揮する人」
・「追い詰められて動けなくなってしまう人」
(2014年4月19日公開)

 
————————————————–

起業をする際に、
人は、この2つのタイプに分かれます。

 

実は、北野は・・・・・

「追い詰められて動けなくなってしまう人」

こちらのタイプでした・・・・。

是非、感想、意見等、コメントしてくださいね。

 

さて、、、、、、当時、私は、このように
「どん底」の状態でしたが、
「ある人との出会い」「ある言葉」「ある決断」で、
大きな変化が訪れました。

 

次回、詳しく話したいと思います。

 

北野哲正
(東京:麻布十番の自宅にて)

 

追伸:

「超“ゆるキャラ”」の塚本 桂さんと
対談を行っています。

北野がこれまで付き合ってきた起業家には
なかった“異色”の」タイプです・・・。

面白いよ~

==================
・塚本 桂 × 北野哲正 特別対談
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「超“ゆるキャラ”」と「気合い系ヒットメーカー」
が話す、「売れるキャラの作り方」とは?
⇒ http://con-labo.jp/taidan/kitano_tsuka/
※4月25日(金)まで公開中
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