【起業“初期”】不発、に終わりました。

北野です、

GWが始まりましたが、いかがお過ごしですか?

北野は、週末の26・27日は成田にいました。

『一般社団法人日本マーケティングコーチ協会』の
第2期生のスターティング合宿があり、
100名を超える参加者と共に、盛り上がっていました。

そして、昨日は、同じくマーケティングコーチの
第2期生「コアメンバー」(特別メンバー)の
スペシャルトレーニングを行っていました。

 

主宰の井口晃さんと2人で、
「ゴールデンウィークなんて、俺たちには
関係ないよね~、でも、いいもんね~」と
乾いた笑いを浮かべていました(笑)

ちなみに、GWの最終2日(5月5日・6日)は、
リアルネットが主宰する
「ビジネスモデル構築合宿」があります。

リアルネットの取締役の小島幹登さんは、
「人が遊んでる時に働くから差がつくんだねよ~
GWも関係ないもんね~、でも、いいもんね~」と
こちらも乾いた笑いを浮かべていました(笑)

 

 

さて、、、、、、、

 

私がコーチングを始めた時、
周りは既に「コーチ」と名乗る人が
あふれていました。

異業種交流会に顔を出しても、

「コーチングやっています。
よかったら無料セッションやります。」

と声をかけられることがいかに多いことか・・・。

 

「“単なるコーチ”では駄目。
差別化のために『専門性』を持つ必要がある。」

私はすぐに、直感的に、そう思いました。

これは、常に、

「いかに他の商品と差別化して、売り込むか?」

ということばかり考えている
“コピーライターの本能”だったと思います。

自分のウリは何か?

強み生かせるのはどこか?

専門性は何か?

 

2005年10月にコーチングをスタートして、
1ヶ月後には、『専門性』を考え始めました。

まず思いついたのは、

「相手のビジョンを作る“ビジョンコーチ”」

でした。

これは正直、完全に“不発”に終わりました。

一人もクライアントが獲れませんでした・・・。

仕事関係、広告業界の知り合いに、
片っ端から声を掛けましたが、

「北野さんが、何か怪しいことを始めた。」
「宗教くさいことをやりだした。」
「業界を捨てて、転職して、変な物を売り込んでいる。」

香川県の広告業界なんて狭いもので、
そんな噂が広がって、これはあえなく失敗。

2ヶ月で方向転換しました。

次に思いついたのは

「会社や個人のスローガン(キャッチフレーズ)を
引き出す“スローガンコーチ”」

これは、コピーライターとしての
自分の強みを生かせるし、これは絶対行ける!!!

最初に思いついたときは、興奮しました・・・。

そして、なんと、企業契約が一社獲れました。
地元の小さな住宅メーカーでしたが、
丁度、企業としてのスローガンを考えたかった、
というニーズがあって、契約が成立。

初めての法人契約が獲れました。

が・・・・・・仕事になったのは、この1社のみ。

考えみれば、「スローガンを作りたい!」
という人が、周りにそう多いわけではなく、
これもあえなく方向転換。

スローガンコーチの寿命は、4ヶ月ほどでした・・・。

※ただ、この時、契約してくれた会社は、
業績をどんどん伸ばし、今では全国展開へ。
その後も、コーチング研修やマーケティング研修、
FC展開、コンサルティングなどで
お付き合いがありました・・・。
⇒ http://www.soramado.com/

 

「ビジョンコーチ」「スローガンコーチ」・・・

使えない名刺がどんどん増えていきました。

「さて、次は“何コーチ”を名乗るか・・・・?」

そんなことを考えていたとき、

高校時代の友人に会う機会があり、
彼にコーチングの話しをしたところ、

「北野はコピーライターで、
マーケティングが得意だよね。
じゃぁ、俺に、
“集客”のコーチングをやってよ。」

そんな話しになったんです。

実は、それまでコーチングしてきたクライアントも
マーケティング絡みのテーマが
多かったことに、あらためて気がつきました。

 

「そうか、俺の強みは、やはり、マーケティングか・・・。
よし!“マーケティングのコーチング”でいくか!!!」

 

こうして

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『マーケティングコーチ 北野哲正』
————————————————–

が誕生しました。

コーチングを開始して、8ヶ月目のことでした。

 

今思えば、

「思いついたら、まず、やってみる。」

それがよかったのかな、と思っています。

「それで駄目だったら、変えればいい。」

そのぐらいのスタンスでやったのが、
上手くいった要因かな、と思っています。

失敗に終わった
『ビジョンコーチ』『スローガンコーチ』
の経験がなかったら、『マーケティングコーチ』
に行き着かなかったかもしれません。

おそらく、最初から
『マーケティングコーチ』と名乗っていたら、

「他にいい専門分野があったのではないか?」
「もっと自分にあったコーチングがあるのでは?」

と、腑に落ちずに、悶悶として、
迷いながらコーチングをやっていたかもしれません。

 

今日は、ビデオで、

「専門性を見つける上での大切なマインドセット」

について話しています。

————————————————–
・コーチ、コンサルに必要不可欠な
「専門性」を見つけるためのマインドセットとは?
(2011年2月3日公開:再生回数1159回)

※是非、コメントや感想、質問などを
お寄せくださいね。
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「俺はマーケティングコーチで行く!!!」

そう決めてから、迷いがなくなりました。

この時期に、「パレードM&C」という会社を
設立し、本格的に、コーチング&コンサルタントに
取り組んでいくことになります。

そして、コーチングをスタートして
1年後の2006年10月。

初セミナーを開催することになりました。

東京で開催しました。

いきなり香川県から東京に出てきて、です。

 

結果的には、このセミナーは、

————————————————–
40,000円の赤字
————————————————–

でした。

ですが、、、、、、、、

このセミナーが北野の起業における
最大のターニングポイントでした。

続きは、次回お話ししますね。

北野哲正

 

追伸:

このところお届けしている北野の
起業“初期”ストーリーですが、
これまでの話はこちらで読む&見ることが
できます。
↓↓↓↓↓↓

第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

第6回:母親の死に目に会えず・・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/716/

第7回:不覚にも泣いてしまいました・・・
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/719/

第8回:“コピーライター北野”、誕生。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/722/

第9回:落とし穴。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/725/

第10回:2度目の挫折、“振り出し”に戻る。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/728/

第11回:コンサルタントへの嫉妬
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/734/

第12回:不純な動機
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/737/

第13回:好循環モデル
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/740/

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