【起業“初期”】母親の死に目に会えず、、、

北野です、

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さて、、、、、

このところ、北野の起業“初期”ストーリーを
書いています。

バックナンバーはこちらです。

第1回:【新企画】起業“初期”ストーリー、始まる。
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/688/

第2回:起業“初期”ストーリー:理由
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/691/

第3回:起業に失敗、実家へ逃げ帰り、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/694/

第4回:日給6500円のアルバイト社員
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/702/

第5回:負のスパイラルに、、、、
⇒ http://con-labo.jp/2014/04/707/

 

北野は、一度、起業に失敗し(25歳の時です)、
大阪から実家の香川に夜逃げ同然で戻り、
日給6500円で「株式会社リクルート四国支社」に
アルバイト社員として入社しました。

それでも起業の夢が捨てきれず、
「2足のわらじ」で、雑貨販売などの副業に
手を出していました。

 

でも、さらに状況は悪化して、
7~8枚のクレジットカードを
限度枠いっぱいまで借りて、
綱渡り的な状況で何とか回していました。

 

そして、、、、実家に戻ってから1年、、、、
借金は800万円にまで膨らんでいました。

 

お金の不安、将来への不安、
さらに、きつかったのが父親との確執でした。

私は、母親を社会人1年目の時に亡くしました。
実は、死に目に会えていません。

母は「原発性肺高血圧症」という
厚生省指定の、原因不明の難病にかかり
それが、私が高校3年生の時に発覚しました。

医者からは「もって3年。」と言われましたが、
結局、7年間、もってくれました。

病名は母親には知らせないままで、
このことは、父親と私と姉の3人だけの秘密でした。

 

当然、父親からは、

「看病のこともあるし、お前は、
地元の大学に行って、地元に就職してくれ。」

・・・と言われました。

ですが、私は、父親の反対を押し切り、
東京の大学へ行き、東京・大阪で就職しました。

 

「いずれは起業したいし、都会じゃないと
駄目だ!」と勝手に思い込んでいました。

 

母は、自分の病気のことは知りませんから、

「好きな大学へ行かしてあげればいいじゃない・・・。」

と、父に言っていました。

 

それがとてもつらかったのですが、
結局、自分の我を通して、大学も就職も、地元で、、、、
という選択はとりませんでした。

 

そして、母は、私が社会人1年目の
2月に亡くなりました。

これは本当に不思議な話なのですが、
母が死ぬ3日前、私は、なぜか、
大阪から香川に帰ってきて、
入院している母親を見舞いに行きました。

 

それまで、盆と正月の帰省時しか
実家に帰らなかったのですが、
突然、思い立ちました。

 

虫の知らせ、なのでしょうか。。。。。。

 

その時、母は元気で、
「仕事どう?」「彼女、出来た?」
なんて会話を交わしたのを覚えています。

 

そして、私は、大阪に帰り、その3日後、
母は、様態が急変して亡くなりました。

 

母の死に目には会えず、でした。

3日前に元気な姿に会えたのが
せめてもの救いでした。

 

そんな経緯があったので、私が借金をして、
大阪からバンに荷物を積んで帰ってきた時、

 

父に、

「お前は薄情な奴で、一生帰ってこないと思っていた。
今さら、どうして帰ってきたんだ??!!」

と罵倒されました。

 

言い換えすこともできず、かといって
経済的にも実家に戻るしかなかった私は、
ぐっと唇を噛みながら、耐えていました。

そこから、7年ぶりの
父親との生活が始まりました。

父は警察官でした。

朝が早い生活でした。

一方、私は、仕事がハードで有名な
株式会社リクルートに勤務で、残業残業で夜が遅く、
午前中はフレックス出勤。

かなり真逆な生活でした。

父親が寝た頃に、私が帰宅する・・・・。

物音で父は目が覚め、
そこから寝られず、不眠症になっていました。

 

「この歳になって、息子にこんな迷惑を
かけられるとは思っていなかった。
頼むから、早く出て行ってくれ!」

 

本当に言い返す言葉がありませんでした。

 

「もう孫がいる同僚もいるのに、、、
それなのにお前は、定職にもつかず、
借金を背負って、本当に情けない・・・。」

 

父に、「申し訳ない・・・。」と思いつつ、

「父親なんだから助けてくれよ。」と、
心の底では、まだ身勝手で
甘いことを言っている自分がいました。

 

この時が、今、振り返ってみると、
経済的にも、精神的にも、
「どん底」の時だったかもしれません。

 

ちょっと重く、暗い話になってしまいましたが、
これが真実です。

それで、今日は、動画ではこんなことを
話してみました。

めちゃくちゃ重要な話です。
↓↓↓↓↓
————————————————–
あなたはどちらのタイプですか?
・「追い詰められて力を発揮する人」
・「追い詰められて動けなくなってしまう人」
(2014年4月19日公開)

 
————————————————–

起業をする際に、
人は、この2つのタイプに分かれます。

 

実は、北野は・・・・・

「追い詰められて動けなくなってしまう人」

こちらのタイプでした・・・・。

是非、感想、意見等、コメントしてくださいね。

 

さて、、、、、、当時、私は、このように
「どん底」の状態でしたが、
「ある人との出会い」「ある言葉」「ある決断」で、
大きな変化が訪れました。

 

次回、詳しく話したいと思います。

 

北野哲正
(東京:麻布十番の自宅にて)

 

追伸:

「超“ゆるキャラ”」の塚本 桂さんと
対談を行っています。

北野がこれまで付き合ってきた起業家には
なかった“異色”の」タイプです・・・。

面白いよ~

==================
・塚本 桂 × 北野哲正 特別対談
==================
「超“ゆるキャラ”」と「気合い系ヒットメーカー」
が話す、「売れるキャラの作り方」とは?
⇒ http://con-labo.jp/taidan/kitano_tsuka/
※4月25日(金)まで公開中
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4件のコメント

  • 野村

    北野様

    貴重なお話を書いて頂きまして、大変有り難うございます。
    読んでいて、いやぁ…そんな…、私も父親との葛藤がものすごくありました。決して比べられるものではないです。ただただ、元気を頂きました。心から感謝いたします。誠に有り難うございました。

  • かず

    北野 様
     確かに時間がないから無理なんだという理由は、すごくすごく共感します。
    時間があれば何かできるものでもないということもわかります。
     北野さんが、追い詰められて動けなくなる人タイプだというのは、意外でした。本領を発揮するタイプのように見えます。でも、根が真面目なんでしょうね、きっと。
     私はどっちのタイプかな?ひょっとして同じかもしれませんね。
     でも、何か退路を断たないと本気になれないのではないかと思ったりもします。これってどうなんでしょうか?

  • TM

    こういう話は参考になります。
    私も家族との関係が悪いので、成功している人は「環境が良いのだろう」と
    思ってしまいます。自分で工夫するしかないですね。

    私は、追い詰められると疲れます。単純です。
    結局、仕切り直します。何にもなってないですね。

  • 人生ああ涙あり

    実感がこもっていらして、軽々しいことを書いては申し訳ないような。
    でもこうやって赤裸々に自分の過去を書く事により、少しでも
    読者の方のお役に立てば、との気持ちに触れると、なんか
    ボクも泣けてきそうです・・涙。

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